ヨガとTMは関係ありますか?

はい。TMはまさにヨガ(ヨーガ)です。

 

●ヨーガとは完全な潜在力の開発のこと

ヨガは、健康やダイエットのために根強い人気があり、身体を曲げたり、伸ばしたりするインドの体操法だと思われています。

 しかし、もともとヨーガとは、サンスクリット語で「統一」という意味であり、それは、個人と宇宙を統一した至高の生命を示すものです。ヨーガは、体を柔らかくするための姿勢ではなく、それによって到達した境地のことを言います。

ヨーガを実現した人は、人間にもともと備わっている潜在力──あらゆる可能性を自由に生きられるようになり、古くから「悟り」と呼ばれる、人間性と神性との統一に至ります。

 

●古代の文献にあるヨーガ

ヨーガの最も重要な文献は、インドに古くから伝わる「ヨーガ・スートラ」だと言われています。そのなかで著者パタンジャリは、ヨーガを実現するための8つの実践──アシュタンガ・ヨーガについて説いています。

アーサナは、アシュタンガ・ヨーガ(ヨーガの8つの手足)の一つに過ぎません。この観点から見た8つの段階のなかで、アーサナ(身体の姿勢)が、他の段階を覆い隠すほど大きな人気を得たため、それが今日、ヨーガとして知られるようになりました

パタンジャリは、ヨーガの8つの手足について、体の手足が一つの体を形づくっているのと同じように、ヨーガの8つの手足も互いにつながりあっていると述べています。ところが、インドや西洋の注釈家たちは、このヨーガの8つの体系を、最終的にヨーガに至るための8つの段階であると解釈してきました。

 そのため、この8つの階段の一番下の段階から踏み出して、いつの日か8段階目のサマーディ(ヨーガ)の状態に到達するまで、上の段階へと登っていくように勧められてきました。そしてこのサマーディに至るのはとても難しいと長年考えられてきました。

 

●ヨーガは簡単

 一方、ヴェーダ科学の学者であり、賢人で、超越瞑想のテクニックを世界に広めたマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(→TMの由来)の洞察は、ヨーガを覆っていたこのような誤った解釈を変えたのです。

「ヨーガの8つの手足は、テーブルの脚のようにつながっていて、一本の脚を引っ張りさえすれば、テーブル全体がそれについてくる。もし、ある脚が他の脚よりも引っ張りやすければ、その最も引っ張りやすい脚を引っ張ることで、最小の時間と労力で目的を達成することができる。」というものでした。 

 体は重くて、固くて、有形の物質ですから、その体を曲げるには、忍耐強く努力と訓練を重ねる必要があります。そのため、アーサナの実践によってヨーガを実現するためには、非常に長い年月をかけて、それだけに専心しなければなりません。

 一方、体と比べて心は柔軟です。例えば、私たちは誰でも、自分の想像する世界のなかで瞬く間にどこにでも行けるし、どんなことでも成し遂げることができます。

心は無形のものですから、心をサマーディ(ヨーガ)方向に「曲げる」のは、とても簡単です。心は本質的に柔軟なので、ひとたび適切なテクニックを学べば、自然にそして自発的に、心は「サマーディ(ヨーガ)」へと向かっていきます。

 

●適切な指導者なしには到達できない

 ヨーガ・スートラには「サマーディは適切な、適切な指導なしにひとりで到達することはできない。」と書かれています。

超越瞑想(TM)はとても簡単にサマーディを経験することができます。超越瞑想は、より大きな幸福を求めるという心の自然な傾向を利用して、心を内側へと向かわせます。心は徐々に、より静かで落ち着いた状態を経験し始め、やがて完全に落ち着いた状態、超越意識──すなわちサマーディに至ります。(→超越とは

サマーディの経験は、ヨーガの意識状態、つまり、心を落ち着かせ、安らぎを確立します。超越瞑想という、努力の要らない、楽しい方法を、毎日二回、短時間行うことで、それは実現されていきます。

 

●満足、成功、健康などを自然にもたらす

世界中でヨーガの人気が高まっているのは、人間が本来もっているすべての潜在力を得たいという、自然な願望の表れでしょう。最高の状態を得たければ、まずサマーディを経験することです。

熱心なヨーガの実践者でも、忙しく働くビジネスマンでも、超越瞑想ーその復活された古代の英知は、私たちに満足、成功、健康などを自然にもたらしてくれるでしょう。(→超越瞑想TMとは