1.超越とは

●波のない静かな海

超越意識はちょうど波のない静かな海のようなものです。そこには波がない静かな海だけがあります。その静かな海からたくさんの波が生じます。この個別の波が私たちの個別の意識です。個別の波が、波のない静かな海の状態にまで完全に鎮まった時、小さな波は海と一つになります。 

 

心理学で「顕在意識」と呼ばれている部分は、海の波の一番上の部分にあたります。その根底にある潜在意識の最も深い部分では波と海は一つであり、そのレベルで私たちは他の人と繋がっています。

  

波は個別の意識であり、海は普遍的な意識、つまり超越意識です。TM瞑想中、活動的な心は努力なく落ち着いていき、やがて波のない静かな意識になります。これが超越です。

 

超越とは意識の活動のない状態であり、それは普遍的な意識です。それはまた本当の自分、自分自身になる体験です。つまり本当の自分とは、個別の意識のことではなく普遍的な意識のことを言います。

 

 

・古代の賢者が経験した意識

5000年前のヴェーダ文献には客観的で物質的な世界と主観的で精神的な世界の根底には一つの意識の場があり、ここでは心と物質がつながっているということが説かれています。古代の賢者たちはこの世界の根底にある統一を自分の意識の中で経験していました。

 

彼らは時の経過によって忘れ去られた「超越するテクニック」を持っていました。この「超越するテクニック」によって誰もが自分の意識の中で世界の根底にある統一を体験することができます。この統一を体験するとき私たちは一人ではなく全てのものとつながっていることに気づきます。

 

超越意識に触れることは、宇宙創造の源に触れることであり、それによって心は活力に満たされ、創造的になります。人間の潜在力はまさに宇宙的です。

 

●超越の恩恵

超越するというテクニックを使うことで、小さな個別の意識が普遍的な意識によって支えられるようになります。支えられるとは、つまり統一場に蓄積された無限のエネルギー、幸福、知性が私たちの人生において生き生きとするようになるということです。

 

これが生命の源である超越が広範囲な恩恵を生み出す秘密です。それはちょうど植物の根に水を与えるようなものです。植物の根に水を与えれば、植物全体が生き生きとしてきます。

 

 ●超越を体験できない理由

では、なぜ私たちは自分の心の深い部分を体験できないのでしょうか?

私たちの注意が外側の何か特定の点に向けられているときには、波の一番上の部分だけが活性化しています。

 

私たちがいつも外側だけに注意を向けて生活していると、心の表面レベルだけが発達して、他の全ての潜在力は隠れたままです。

 

●TM中に起こること

TM中、心は自然に想念の微かなレベルを体験し始めます。想念が微かになるということは、それを体験している心の活動がより微かになるということです。

 

それは高まっていた波が静まっていくようなものです。そして最終的に私たちは想念の最も微かな状態を超越して、純粋な「私自身」の状態に達します。

 

波は完全に静まって海と一体となり、私たちは意識の海そのものになります。波という枠のない自分自身の限りない真の自分(真我)を体験するのです。

 

それから心は再び活動的になり、波立っていきますが、私たちの真の自分の性質が心の中にいくらか残ります。このような体験を規則的に繰り返すことで、心の潜在力を扱えるようになっていくのです。

 

●努力のいらない自然な方法で超越の体験を得る

もし、瞑想中に努力をすると心は活動し続けることになり、高まった波が静まることはありません。努力しないとき初めて波は自然に静まっていき、ついには海と一体となります。

 

TMが完全に自然で努力がいらないのは、努力をしないことがその効果を生み出すための本質であるからです。瞑想するたびに超越の質がますます強く残るようになり、活動の中に日に日に現れてきます。

 

その結果、人生のあらゆる領域が改善されていきます。これが通常のリラクセーションと超越瞑想の違いです。

 

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